― 登山から考える、恐怖と偏見の心理学 ―
登山に行った話をすると、ときどきこんなことを聞かれます。
「熊は大丈夫だった?」
もちろん、熊は危険な野生動物です。山の中で突然遭遇すれば、命に関わることもあります。
しかし、私は以前から少し不思議に感じていました。
なぜ私たちは、熊という存在にこれほど強い恐怖を抱くのでしょうか。
そして、その恐怖は、実際の危険性とどの程度一致しているのでしょうか。
今回は熊の問題を入り口に、人間が危険をどのように認識するのか、心理学の視点から考えてみたいと思います。
熊による被害と交通事故を比較すると
まず、実際の数字を見てみましょう。
環境省によると、2025年度に全国で熊による人的被害を受けた人は238人で、そのうち13人が亡くなっています。
一方、警察庁によると、2025年の交通事故による死者数は2,547人でした。
死亡者数だけを比較すれば、交通事故の方がはるかに多いことがわかります。
しかし、ここで注意したいことがあります。
被害者数が多いことと、一人ひとりが遭遇する危険性が高いことは、必ずしも同じではありません。
自動車や道路は日常生活の中で多くの人が利用しますが、熊の生息域に入る人は限られています。
また、交通事故の数字は暦年、熊の数字は年度による集計です。
したがって、この二つの数字だけで、熊より交通事故の方が危険だと結論づけることはできません。
むしろ重要なのは、こうした数字を私たちがどのように受け止めるかという点です。
登山者が熊に遭遇する確率は?
では、実際に登山をしている人は、どのくらい熊に遭遇するのでしょうか。
2025年にYAMAPが公表した登山者への意識調査では、登山中に熊を目撃した経験がある人は29.4%でした。
およそ3割の人に目撃経験があるという結果です。
ただし、これは一度の登山で熊に遭遇する確率ではありません。
何年も登山を続けている人と、年に数回しか登らない人では、熊に遭遇する機会が違います。また、北海道や東北などの熊が多い地域と、生息していない地域でも条件は大きく異なります。
全国の登山者が一回の登山で熊に遭遇する確率を、一つの数字で表すことは難しいのです。
さらに、熊を目撃することと、熊に襲われることも別の問題です。
ここからわかるのは、危険を正しく理解するには、被害の大きさだけでなく、その危険にさらされる機会や状況も考える必要があるということです。
なぜ私たちは、熊のニュースを強く記憶するのか
心理学には「利用可能性ヒューリスティック」という考え方があります。
これは、思い出しやすい情報を手がかりに、物事の頻度や危険性を判断してしまう心理的な傾向です。
例えば、熊が人を襲ったニュースを繰り返し目にすると、熊による被害が非常に身近で、頻繁に起こっているように感じることがあります。
特に、衝撃的な映像や悲惨な出来事は記憶に残りやすいものです。
一方で、交通事故は日常的に起こっているため、熊のニュースほど強い印象を残さないこともあります。
その結果、実際の発生頻度とは別に、頭の中で感じる危険の大きさに差が生まれます。
ただし、これは熊の危険性が誇張されていると一概にいうものではありません。実際に被害が増加している地域もあり、警戒が必要な状況もあります。
大切なのは、報道から受けた印象だけで判断するのではなく、地域の出没状況や自分自身の行動も踏まえて危険を評価することではないでしょうか。
恐怖は、ときに社会の偏見にもつながる
私は、この心理が熊の問題だけに限らないと考えています。
例えば、精神障害のある人に対する社会の偏見です。
精神障害のある人が関係する重大事件が報道されると、その出来事が強く印象に残ることがあります。
そして、個別の事件から、精神障害のある人全体に対して危険なイメージを抱いてしまうことがあります。
しかし、ある人が事件を起こしたという事実と、同じ属性を持つ人々全体が危険であるという判断は、まったく別のものです。
法務省の『令和7年版犯罪白書』によると、2024年の刑法犯検挙人員全体に占める「精神障害者等」の割合は0.7%でした。
ここでいう「精神障害者等」には、精神障害の疑いがある人も含まれています。
また、この0.7%という数字は、精神障害のある人の犯罪率を示すものではありません。犯罪の起こしやすさを比較するには、人口構成などを踏まえた別の分析が必要です。
重要なのは、一部の事件を根拠に、集団全体の性質を決めつけてはいけないということです。
私たちは、自分が直接知っている人のことは、その人自身の言葉や行動から理解しようとします。
しかし、よく知らない人々については、報道や周囲から得た断片的な情報によってイメージを形成してしまうことがあります。
そのイメージが恐怖と結びついたとき、偏見や差別が生まれることもあるのではないでしょうか。
恐怖をなくすのではなく、正しく理解する
そもそも、恐怖は人間にとって必要な感情です。
危険を察知し、自分の命を守るために欠かせない働きだからです。
熊を恐れること自体が間違っているわけではありません。
登山の際には、地域の出没情報を確認し、適切な装備を用意し、熊との遭遇を避ける行動を取る必要があります。
しかし、恐怖という感情が強くなりすぎると、私たちは物事を冷静に判断しにくくなることがあります。
だからこそ、感情を否定するのではなく、その感情が何によって生まれているのかを考えることが大切なのだと思います。
それは、熊との向き合い方だけでなく、人間同士の関係にも通じることではないでしょうか。
私たちが本当に恐れているもの
私たちは、目の前にある現実そのものを見ているつもりでも、実際には過去の経験や知識、報道、そして自分自身の感情を通して世界を理解しています。
そのため、同じ出来事を見ても、人によって受け止め方は異なります。
恐怖を感じたとき、その感情に従うことは自然な反応です。
しかし、そこで一度立ち止まり、考えてみることもできるはずです。
私が恐れているのは、実際に存在する危険なのだろうか。
それとも、自分の中で大きくなった危険のイメージなのだろうか。
もちろん、すべての恐怖が思い込みというわけではありません。
現実の危険を正しく知り、必要な対策を取ることは大切です。
同時に、十分に知らないものを、ただ恐れるだけで終わらせないことも大切だと思います。
恐怖をなくすことよりも、恐怖の正体を理解すること。
そこに、物事をより冷静に捉え、他者への理解を深めるための一つの手がかりがあるのではないでしょうか。
参考資料
- 環境省「クマに関する各種情報・取組」「令和8年版環境白書」
- 警察庁「令和7年中の交通事故死者数について」
- YAMAP「クマに関する登山者意識調査」(2025年12月16日)
- 法務省『令和7年版犯罪白書』第4編第10章「精神障害のある者による犯罪等」
※熊の被害統計は2025年度、交通事故統計は2025年の数値を使用しています。集計期間や対象が異なるため、個人の危険確率を直接比較するものではありません。
